衝動は行動という条件を満たすことで有益になる
ほのかな香りが欲しい。その香りは心地良いものでなくてはいけない。私にとって、リラクゼーション効果のあるものでなければいけない。それは芳香剤ではなく、アロマキャンドルでもない。その解は青い陶器のカップにあって、そこに注がれた珈琲がもたらしてくれることを私は知っています。
そこから揺らぎ昇る白い湯気に、私の求めている、ほのかな香りがあるのです。だから湯を沸かすのです。喉が渇いているかどうかは関係がなく、湯を沸かすという行動によって、ほのかな香りを欲しいという衝動から解放される。そこには珈琲が常備されているという前提条件が必要なのですが、それだけは必ず用意されているという自信が揺らぐことも無く、私はおよそ10分後に、求めているほのかな香りを手にすることになります。
衝動は条件を満たさなければ消えてしまう
誰でも、何かをやってみようと思ったことがると思います。私に至っては、そのような衝動が毎日のようにあるのですが、それは個人差なのでしょう。衝動の多くは、何かしらの切っ掛けを伴って感情的に発生して、一時的に強い意志を伴うものです。ところが、多くの読者は衝動を長続きしないものと感じていないだろうか。寝て起きたら忘れてしまうのが衝動だと考えていないだろうか。それは衝動を誤解しています。
例えば、学生が勉強をしようと衝動に駆られたとします。その切っ掛けは何でも良いのですが、その衝動を活かせずに終わってしまうと、勉学を求められている学生であっても勉強をできなくなります。ところが勉強を始めて、更にはそれを続けられる学生もいるのは、何故なのでしょう。少なくとも、私が話をしたいのは、気合と根性で勉強をしなさいという説法ではありません。誰でも衝動を活かすことのできる、そんなメカニズムについてお話しをしたいのです。
そもそも「衝動を活かすとは何か」について話さなければならないのですが、衝動を活かす方法の解は「行動」です。そして「行動」と衝動を結び付ける解は「有益」です。飛躍し過ぎたので、もう少し順番に考えていきましょう。先ずは衝動についてですが、衝動とは何かしらの目的達成についての意欲のことです。衝動に駆られるというのは、目的達成のために高揚している状態なのです。
先ほどの例に戻ると、学生が勉強をしようと衝動に駆られたのは、その先にある目的が達成された場合のことを想像したと考えられます。逆の発想もできます。その目的を達成できなかった場合のことを想像したとも考えられます。
では、目的とは何でしょう。広辞苑には「①成し遂げようと目指す事柄。行為の目指すところ。意図している事柄。「―をとげる」 ②〔哲〕意志によってその実現が欲求され、行為の目標として行為を規定し、方向づけるもの。」とあります。つまり目的とは、成し遂げたいという欲求を生み出す何かです。
では、欲求とは何でしょう。広辞苑には「①ほしがりもとめること。欲望を満たすために要求すること。 ②〔心〕行動に駆り立てるもととなる緊張状態。心理的・身体的・社会的なものがある。」とあります。つまり、人の欲望が求める何かです。
では、欲望とは何でしょう。広辞苑には「ほしがること。また、ほしいと思う心。不足を感じてこれを満たそうと望む心。「―を抱く」」とあります。つまり、人が欲しいと思う何か。自分にとって「有益」な何かなのです。
さて、広辞苑について言えば、語句の意味が書かれている辞書なのですから、衝動の活かし方までは書かれていません。その引用だけで解を伝えることができないのは、いささか残念ではありますが、それを求めるのは怠慢だということも分かっています。十分に活躍してくれたので、広辞苑には感謝をして前段は終わりにしましょう。
「有益」の深度によって、衝動の強さが変わる
衝動には強弱があります。その強弱は「有益」の深度によるものが大きく、どこまでの目的を見据えているかによって、変わってくるのです。また学生の例で考えてみます。勉強をしようという衝動をもたらした目的の達成が「テストで良い点を取れる」だとした場合、その衝動効果を「弱」定義します。では、更に深く考えてみましょう。「テストで良い点を取れる」の先にあるのは何かを考えます。今回は「自信を持てる」としてみます。さて、先ほどの「テストで良い点を取れる」と比較してみましょう。その衝動効果を「中」定義することに、さほど異論は出ないのではないでしょうか。
最後に「テストで良い点を取れる」と「自信を持てる」から生み出される何かを考えてみます。より深く、更にその先です。そうですね、今回は私の欲求に委ねていただき「異性にモテる(かも知れない)」としてみましょう。少なくとも、私にとっての衝動効果は「高」です。ここで読者の異論があるとして、それには誤解があると弁明の機会を求めます。
きっと読者の皆さんは「進学できる」とか「良い会社に入れる」とか「資格が取れる」などを思い浮かべたのだと想像しますが、あえて私が「異性にモテる(かも知れない)」としたのは、人の「有益」とは、人の欲望が求める何かに起因することを思い出していただきたかったからです。
この衝動の強さによって、持続する時間が変わります。そして何よりも、衝動を活かすための「行動」に繋げられる可能性が変わるのです。可能性というよりも効力と表現した方が正しいかも知れません。人は衝動により、何かしらの行動を実行しようとします。これが衝動に駆られるという現象です。そして、この行動こそが「有益」を手に入れるための着火剤となるのです。
衝動は願望ではない
衝動を勘違いして欲しくないのですが、似通った高揚感をもたらす願望のことではありません。願望はあくまでも願望なのです。衝動とは有益への変化と自然に繋がっているものであって、達成できる確信のある場合に発生します。
例えば、私がアイドルと恋愛をしたいと望んでも自然に繋がりません。ですから、それは願望であると定義できます。もしも、たまたま友人の職業がアイドルであって、普段から付き合いのある人であれば、自然に繋がっていると言えます。それであれば、一人の友人として自然の繋がりがあると言えるので、恋愛を望む衝動の発生条件は満たされます。この境界線がとても曖昧なので、勘違いしやすいのも当然なのかも知れませんね。私は、そんな青春なお話を一息物語で書くとしましょう。
いよいよ、学生の例を取り挙げるのもこれが最後です。学生が勉強をしようと衝動に駆られる事象はどうでしょう。学生という立場を考えた場合、現実的でごく自然の繋がりが多数あるように思われませんか。ですから、衝動の発生条件は成立します。では、勉強ができる人と勉強ができない人の違いは何でしょう。それは衝動を有益に変える条件を満たしていない、ただそれだけのことです。
衝動は行動を絶対条件に有益に変わる
衝動に駆られたとき、それを有益に変えたいのであれば、即座に行動に移すことを推奨します。「それができないから困るのだよ」という声が聞こえてきそうですが、それは衝動の強さが弱いことの現れです。衝動の強さは何に影響するか覚えていますか。衝動は「有益」の深さによって変わります。衝動を少しでも感じたら、何故それを感じたのか深堀して下さい。それをするだけで衝動は強くなります。つまり、その深堀するという習慣を身に付けるしかないのです。
先に冷たいことを言ってしまうと、努力をする気の無い人に目標達成は不可能です。そもそも衝動を有益に変える条件の行動とは、全てが努力に結びつきます。それを否定するのであれば、不可能と断言せざるを得ないのです。しかし、肯定していただけるのであれば、深堀するという習慣も身に着けられます。私が始めて欲しいのは、ひとつだけです。食事のたびに、何故それを食べたいと思うのかを深堀して下さい。いろいろ考えてみて下さい。同じ答えに行き着いても構いません。けれど、考えを巡らせることが習慣化すると、同じ答えにばかり行き着かなくなります。そうなってきたら身に付いた証拠だと思っていただいて結構です。
さて衝動の強弱をコントロールできるようになったら、いよいよ行動です。この行動も勘違いが無いようにしたいのですが、先ず衝動と行動は異なるものです。「勉強をしたい」というのは衝動と行動が一緒に思えますが、少し考え方を変えましょう。衝動を強化するのには、ここにも意味が有るのです。私の衝動効果が高になる「異性にモテる(かも知れない)」まで深堀すると、行動の選択肢が増えませんか。でも選択を急がないで下さい。ここで衝動の深堀工程を忘れてはいけないのです。
今回の基本衝動は「勉強をしたい」です。そして「テストで良い点を取れる」と「自信を持てる」が続きます。これらの連鎖関係は大切なのです。これらのワードと自然に繋がるものが行動の選択肢です。例えば「英語の勉強をする」が選択肢の一つとなります。英語を話せるのって、私はカッコいいと思うのです。ですから選択肢にできます。ただし、この選択肢が絶対条件の行動かというと違います。
絶対条件の行動は、原則がある
原則と言っても単純です。直ぐにやること、続けられること、明示すること、この3つです。まず衝動を強くしたら、有益に繋がる選択肢の一つを直ぐに実践します。時間を空けてはいけません。特に寝てはいけません。別の機会に書きますが、寝るという行為はリセットする行為の一つです。ですから、就寝前に必ず行動を開始して下さい。
英語を勉強するという選択肢を見つけたら、英語に触れて下さい。それが第一歩です。読めなくても英語を見て下さい。書いてください。聴いてください。それをしようとすると、道具が見つかります。教科書なのか、Youtube動画なのか、何でも良いのです。触れて下さい。次に続けるために道具を整理して揃えましょう。そして明示します。友人に宣言しても良いですし、SNSで発信しても良いのです。紙に書いて見えるところに張り出すのも効果的です。ノートや日記に書くという行為でも良いでしょう。
いよいよラストスパートです。と言っても、終わりのための始まりです。ここでいう終わりとは、衝動が有益に変わることを指します。衝動は直ぐに有益に変わりません。この変わるは成長に似ています。衝動が育ち有益に成長していくイメージです。それを楽しむためには、自分の成長を楽しまなければいけません。今は衝動の初期レベルであることを自覚して、そのレベルが低いことを幸せだと考えて下さい。成長は差が出た方が良いのです。その方が続けられます。
私の推奨は、衝動の初期レベルを記録に残すことです。例えば英語を学ぶのであれば、日記を書いてみましょう。始めは一行もまともに書けないのではないでしょうか。文法とか単語の綴りとか、間違ったままで良いです。それを定期的に見返して、レベルが低かったことを実感して下さい。そうすると、自分の成長が微笑ましく感じられるようになります。親が子供の成長を見ているのと同じで、良い思い出になるのです。これが理解できたときには、読者の衝動は有益に近づいているはずです。
私は文書を書いています。絵も書いています。それを残してあります。ここに残っています。そして読み返しています。直したくなることもあるのですが、なるべく修正をしないようにしています。過去の失敗は残しておいて、次に改善する方が良いのだと知っているからです。ふふっと、書きながら独りで笑ってしまいました。だってこの文章も残念なところが多いですからね。早く納得いくものを書けるようになりたい。そんな衝動に駆られています。