へんてこ・コミュニケーション

 これは、ある営業さんが呟かれた一言です。「社内の仕事だとさ、お願いするの気が引けるよね。期間も無理が有るんだよ。」

 仕事をしていると、多くのステークホルダーと連携を取らざる得ない場面が出てきます。私はこの一言を聞いて「気が引ける」の意味が分からなかったですし、「期間も無理が有る」の意味も分かりませんでした。実際に私も関わっている仕事なのですが、間違いなく期間には問題ありません。なるべく時間稼ぎをしたいという心理から出てしまった言葉だったのでしょう。失礼ではありますが、普段から仕事の遅い方で、この一言にもよく表れているなと思いました。そしてその原因が、コミュニケーション不足と苦手意識に有るのだと、容易に想像できました。

 コミュニケーションが苦手という人に有りがちなのが、ステークホルダーが増えることで、自分の立ち回りが上手くできなくなるというパターン。心理カウンセラーをしていた頃は、それが原因となっている相談が半数以上だった様に記憶しています。身近の気の知れた人とのコミュニケーションであれば、何とかなるのだけれど、そこに普段は話をしないような人が加わり始めると、途端に不安と恐怖に心が蝕まれます。だからなるべく、多くの人とコミュニケーションを取らないで済む仕事を選ぼうとしてしまう。プロジェクトリーダーの様にまとめる立ち回りなんて、もっての外となるのです。

 コミュニケーションの上で、最も気に病む点は「なるべく角を立てたくない」という、自分の心理的な安全の確保では無いでしょうか。それは言い換えれば、自分が非難されたくないとか、嫌われたくないとか、悪者になりたくない、といった感情の表れです。要するに悪口を言われたくない訳です。自分だけは白無垢のままでいたい。透明な美しい存在でいたいという深層心理の表れかも知れません。けれど、ステークホルダーが増えると、自分が多くの人に晒される危険があって、その不安と恐怖に襲われる。そしてその感情に打ちひしがれて、闇落ちしてしまう人も少なくないのでは無いでしょうか。これは、心理学でいうところの「パーソナル・スペース」の話なのですが、私は「パーソナル・スペース・トラップ」と呼んでいます。引っ掛かると、心身ともに傷を負ってしまう恐ろしい罠です。

 私も昔々あるところで、管理職という立場を与えていただいて仕事をしていた時、いやそれ以前の一般社員の立場においても、同じ悩みを抱えていました。そんな私が、苦悩の果てに辿り着いた解が二つあります。それは多くのステークホルダーとコミュニケーションを取らざる得ない時に、今では当たり前のように考えるようになった事です。

 先ず一つ目の解ですが、ステークホルダーが10人いたとして、その10人全員と仲良くなれるなんて有り得ないのだ、という真実です。それが人間関係の本質だと思われます。恐らくですが仮に仲良く仕事をできたとしても、1人か2人が良いところです。それすらも、個人的に感じている距離感から想像した構成比であって、勝手に相思相愛と思い込んでいるに過ぎません。この思い込みは大切なのですけれどね、そうしないと不安から救われることが無いですから。

 もう一つ解は、自分にとって都合の良い役と選択肢を捨ててしまえば、結果的に楽になるという事です。先程「自分だけは白無垢のままでいたい。透明な美しい存在でいたい」と表現しましたが、それは自分を美化して見せたいという見得であり、汚れたくないという願望であり、誰よりも楽していたいという煩悩の表れでもあります。これが人間の本質にあるが故に、ややこしい感情を抱く原因となるのです。根本的に、全人類が我儘なのですよね。極論で言えば他人に嫌なことは押し付けたい訳です。何故ならば、他人の痛みを自分が感じることは無いと知っているからですね。それであれば、始めからその欲望全開の選択肢を捨ててしまえば良いのです。

 この二つの解には、コミュニケーションの本質が隠れています。私たちがコミュニケーションを行う上で、心理学の「パーソナル・スペース」を考える人が多いのですが、これはコミュニケーションの本質を歪めている考えです。振り返りますが、全てのステークホルダーと仲良くなるのは不可能です。何故ならば、人は自分に我儘で相手の事など実際には考えていないからです。誰もが自分が主役で、自分の為だけに生きています。誰かの役に立ちたいというのも、それをする事で自分の欲求を満たす行為でしかありません。「パーソナル・スペース」とは、あくまでも自分を主体に置いた妄想図であって、実際の関係値を計ることは不可能なのです。その為に拘ってしまうと、その妄想が原因で自ら傷つく可能性が有るのです。

 私は共感という言葉においては、妥当性があると思っています。それは近い感覚だったり、考え方を持っているかも知れないという、個に依存した感覚におけるものだからです。それは物理的な考えに近いものです。簡単に例えるとAさんが欲しいものをBさんも欲しいか?という問いと同じです。これは明確に答えを出せますよね。けれども「パーソナル・スペース」という心の距離については、あまりにも曖昧です。相手との距離感を確かめ合うのは、ほぼ不可能なのです。何故ならば、物理的な表現が不可能だからです。よくある事例として、日本人はLIKEとLOVEの違いという確かめ方をします。けれども、このLIKEとLOVEすら、それぞれにも境界線が無く物理的な表現が難しいですよね。この様な曖昧な感覚値は繰り返しですが、実の無い妄想なので、それを正しいと思い込んでいると、高確率で心が疲弊します。それは自爆です。

 改めて、コミュニケーションとは何なのでしょう。広辞苑では、「社会生活を営む人々の間で行う知覚・感情・思考の伝達」とあります。そう伝達なのです。恐らくですがコミュニケーションに「なるべく角を立てたくない」を発想してしまう人は、伝達では無く強制的な指示を目論むでいるか、人間関係を作ることを目的としていると想定できます。何よりも、どのようにコミュニケーションを取るかを考えていません。

 これが最後の解ですが、コミュニケーションとは知能戦のことです。根本的に、全人類が我儘なのですよね。だからこそ、相手が肯定してくれるように、あらゆる戦略を立てて、その上で折衝しないと成功しないものです。少なくとも「なるべく角を立てたくない」の為に誤魔化すことでは有りません。コミュニケーションを苦手という方の多くは、考えるという事が足りていないと思われます。知能戦である以上、考えなければ成功は有り得ないのです。知能戦において、相槌だけをしている人は既に負け戦の確定者です。成り行きに身を任せるしか有りません。

 利害関係の一致ができれば、相手は快く協力をしてくれます。利害関係が一致しなければ、当然のように嫌がられます。人は我儘な生き物で、根本的に楽をしたいわけですし、自分に都合の良いことにしか興味が有りません。仕事に至っては特にその性質が顕著に表れます。理屈が正論だとしても、面倒臭がる人が大半でしょう。だから「10人全員と仲良くなれるなんて有り得ない」で良いのです。明らかな利益があるとして、それを相手が理解してくれなかったとしても、そこは正論で押し切るのが正解でしょう。

 最後に、「なるべく角を立てたくない」は正解だと思います。敵を作る折衝もまた成功とは言えません。コミュニケーションとして必要なのは、「角を立てない」ではなく「理解を求める策」です。策とは準備から始まります。先ずは伝達目的の正当性を根拠に基づいて証明する準備。次に交渉材料の準備。対象外からの根回し、そしてグループと個々への伝達。その順番も考えます。誰に話すと、誰に何処に影響するのか。それを考えながら、伝達するのがコミュニケーションです。

 コミュニケーションは難しい。私もその通りだと思いますし、決してコミュニケーションが得意とは言えません。けれどもコミュニケーションは楽しい。まるで推理小説を組み立てている様に思えてならないのです。そう思えるようになれば、コミュニケーションで悔しいと思うことはあっても、傷つくことは無くなると思いますよ。

仲良くしてくださいね。

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