三つ子の魂百までとは、えらいこっちゃ
今日の今日まで、昨日のことすら覚えていなかったわけで。なんなら一昨日のこととなってしまうと、それこそ不明瞭であって、明確なところと言えばテキスト化して残してある記録頼りである。記憶には頼れないので、記録を頼るのですが、それも考えてみると正確なのかは定かではない。
よくある記憶力テストの一つであるが、昨晩の食事は何時に何を食べたのかを直ぐに回答できるだろうか。私の食事は、20時頃に鶏肉のトマト煮とご飯という一膳一菜だったと記憶している。しかし即答をできたかというと、嘘偽りなく思い出そうとした。ここで嘘偽るメリットはないわけだ。いや、仮に少し記憶力が良さそうというアピールを目的とするのであれば、メリットはあるのだろうが、実のところ私は極端に記憶力が悪くデメリットの方が多い。嘘とはデメリットの塊だ。私は人の顔を覚えられても名前は覚えられないし、何なら1年も合わなくなると辛うじて覚えていた名前すら忘れてしまう有様だ。今現在も健忘症を疑っているほどなのだ。さてさて、私個人の話は、このあたりで止めておこう。
そういえば、私が日本語を覚えたのは何時からだろうか。ちなみに、その回答を明確に説明できる人は、この世界に一人も存在しないのだろう。日本で誕生したのであれば、産まれた瞬間から恐らく日本語に触れ始める。いいや、それは誤っているのかも知れない。生後3か月頃から耳が聞こえるようになると教わった覚えがある。これもまた曖昧だ。けれども生誕して近々、日本語の英才教育ならぬ強制教育を受けたのは事実なのだろう。この瞬間から私は日本人として矯正されていたのだ。それであれば、日本語を耳にした瞬間が、日本語を覚えた瞬間なのだろうか。いいや、それも違う。それは日本語という音が聞こえただけであって、覚えてはいない。なにやら面倒な話になってきた。
ここで解を出すのであれば、少しややこしいが説明はできる。まず前提として、それが日本語であることの理解をしていなくて良い。相手に伝わる言語らしき音を認識し、その音の活用方法を自分なりに考えた結果、真似た音を自ら発声するという伝達方法を試してみる。それを周辺の生き物らしき何かが聴きとり、自分が望んでいた結果をもたらしたときに、初めて意味が発現する。それを数回試した結果、確信になったときが日本語を覚えた瞬間なのだろう。何とも曖昧だ。確信に変わるという事は、日本語として成立していたわけだから、実は真似ることができた段階で、日本語を覚えていたとも言える。まぁ、そのあたりの解釈は曖昧なままで良いのだろう。そもそも、世の全てが曖昧だ。
実にこの解の主人公は、まだ頭の毛も生えそろっていない、必ずと言って良いほどに「かわいい、カワイイ、可愛い、かわゅい」と称される、赤子である。基本的には、泣くのと寝るのが本性のわがまま怪獣である。母と父にとっては、最愛の王子様や姫様であろうか。世間一般敵に、そうであって欲しいと私は願っている。
かれこれ、私は四十路を過ぎてしまったわけだが、当然のようにその頃の記憶は無い。最初に発した言葉も知らない。私の出生においては、実のところ曖昧である。役所で調べれば多少は明確になるのかも知れないが、親から赤子の頃の話や、幼少期の話を聞くことは無かった。写真なども残っていない。今となっては、私の過去を知る人などいないのである。そういえば、振り返ることもしなかった。これほどに曖昧な過去を持っているのだから、私の記憶力が欠如するのは致し方なかったのかも知れないな。
では、私が私となった、由縁は何処にあるのだろうか。この世界において、私のことを知る人は既にいない。私しか知らないし、私も知らないことばかりなのである。記憶さえも朧気で、曖昧な事ばかりを言っている私は、はたして本物であろうか疑う由もない。何故ならば、私というものを証明してくれるものが存在しないからだ。外見からして、私を捏造する言葉は幾度となく耳にしてきたけれど、それを立証できる証拠を提示されたことは無かった。免許書という公的な機関が与えてくれた証明書以外は、私を証明はしてくれない。そうか、マイナンバーカードも今は証明書という位置付けとなった。けれども私という存在の照明には少しばかり心もとないのではないか。
僅かとはいえ、あるいはその側面を知る人の意見は貴重だ。一見は百聞はに如かず。少なくとも私と出逢って、多少なりとも会話をして、時には行動を共にしてくれた人たちにとって、私という存在は実在していたはず。それでも外面だけを見ていた人たちにとって、私という存在もまた曖昧である。私が少しでもキャラを演じてしまったら、それが真実になり得てしまう。素の私が本物かというと、それも危うい。繰り返すが、私のことは私しか知らないし、私も知らない事ばかりなのである。
解離性同一症という、ようするに多重人格についても少し触れておこう。これは、実際に有り得ることなのだろうか。私の導き出した解は「有り得る」だ。これは、医学的に解離性同一症と診断されなかったとしても、誰にしても多少なりとも持っている人間性の一つだと思われる。主に激しいストレスなどによって心理的外傷を伴い、一人の人間の中に全く異なる人格(自我同一性)が複数存在する症状を指すのだそうだが、それほどに極端なものでもあるまい。例えば、いつもと少し違う言葉使いや、仕草をしてみたことは無かろうか?既にそれは、多重人格の現れだと私は確信している。自分を自分で明確に理解し、コントロールできている人間など少ないのではないか。いや、仮にそれが出来ている段階で、もはや自分という存在は、別の自分が動かしていることになる。表面上は私であって、けれども動かしているのは、もう一人の私という事なのだ。
人は少なくとも二面性を持っているものなのだと思う。流行り言葉で言えば、ツンデレもその一つだ。何故に男心も女心もわし掴むのかは定かでないが、ある種の憧れなのかも知れない。外面と内面の両方を見れたことで、その人を深く知ったような気がする。知れたような気がする。知り尽くしたような気になる。そこに優越感を覚えてしまう。私だけのもの的な、かなり危ない思想のような気もするのだけれど、それほどに人を知るという事が難易度の高いことなのだろと思う。人は高いハードルを越えることができると、アドレナリンが出てしまうのだろうから、結果的に好きになってしまう。LIKEかLOVEかという疑問を捨て置いて、それはそれで良い。
ちなみに私は、典型的な多重人格者だ。これだけは、明確に理解をしている。何なら、私は私と会話していることも珍しくないし、それも明らかに多重性のある会話であったりする。ここからの数行は、変人を見るような目で話を読んでくれていい。そうしてくれないと、逆に救われないのである。私の場合は、男性が3人、女性が2人いる。正確には、それを統率している、あと一人がいる。この比率で言うと、私が男性であるという仮説が示唆されるが、その人数費と性別は関係ない。肉体的な性別と、精神的な性別は異なるものであって、その判断は本人に委ねられている。生物学的に言えば、肉体的な性別が正しいのだろうが、既にその議論については長い論争に決着が付きつつあるのではないだろうか。
これらの人格形成は、生まれた時からあったとは言えない。物心が付いたであろう頃のことを曖昧ながらも、朧気ながらも、うっすらと思い出してみると、そこに多重人格は存在していない。私は絶対無二の私であったように思う。それがいつの間にか、複数に分裂したのである。分裂なのか?生み出されたのか?眠りから覚めたのか?例えようが無いのだけれど、確かに私ではない私がいる。ちなみに文書を書いている時の私と、サラリーマンをしている時の私は別人格だ。友人と話している時と、同僚と話をしている時、更にはSNSに顔を出している私も、それぞれが別人格だ。けれども、その中に主がいる。居座っている。それは幼少期から変わらず存在している。恐らくではあるが、それがもの心が付いたであろう頃から、私を動かしていた張本人である。
この世に多重人格者ではな人がいるのかと言えば、それもまた存在するのだろうと思う。表裏が無い人という表現があるが、そうではない。表裏があったとしも、人格的に同一人物なのであれば、多重人格者ではない。多重人格の経験が無い人にとって、多重人格者のことは理解しがたいと思うのだが、多重人格者は、その自覚者であると私は解をまとめている。
それらを考えてみると、私は生まれてから一度も代わってはいないし、変ってもいない。繰り返すようではあるが、私には一切変わりない、代わったことのない主がいる。その主の住まいに仮住まっている人格がいる。私の個体が産まれてから、私の仮住まいに住むようになった人格が現れるまで、私は私だったわけですな。その主には特徴があって、これが多重人格を生み出してしまう原因だと考えているのだが、主は個性を持っていない。喋ることもしない。あるのは意志だけであって、感覚だけである。つまりは本能の塊である。生物学的に言うところの食欲、睡眠欲、性欲のたぐいだが、本能で我々を動かしていることは間違いなさそうだ。それだけは考察した結果として妥当だと考えている。まぁなんだ、みんな同じなのだろう。
私という主は生まれながらにして主であって、代わったことも変わったこともない絶対の人格者である。その主を知りたいのであれば、昔を思い出してみると良い。思い出すと言っても、小学生くらいまでの第三者目線の評価を思い出すのが一番効率よいようだと結論つけた。まだ多重人格が現れていない頃の評価を探ってみるのだ。例えば小学校低学年頃までの内申書なんかは役立つかも知れない。ほんの僅かな側面だろうけれども、それは主の評価だ。幼子の頃は〇〇だったと言われたら、それは主が生まれながらに持っている特性であって、本懐ならぬ本解である。
私は、子供の頃に性格が形成されるというのは、少しだけ間違っているように思う。繰り返し語ってきたことのまとめでもあるが、生まれたその時から既に主は形成されている。それが解である。どうしても、もの心が付く頃を人格形成の時期として想定したいのであれば、もう一つの解を伝えなければならない。それは人格形成ではなく世渡りのルール形成であるという事だ。抗えない幼少期の環境下で、社会を生き抜くために、主が持っている本能を軸に判断し、自分なりに考えて結論付けた世渡りのルール形成だ。それをバイブルとして、その後の人生を歩んでゆく。それが性格であったり、人間性であったりと解釈されているのだ。
つまり、世間一般的に人格と評価されているものは、その人物が幼少期の頃に作った、世渡りのルールブックであって、その人そのものではない。これが解だと立証するにあたって、もう一つだけ付け加えておきたい。何度も言いうが主は代わっていないし、変っていない。人の雰囲気が変わったとするのであれば、その人物が世渡りのルールブックを書き換えただけだ。何かの切っ掛けや理由をもって、ブラッシュアップしたのだ。それによって言動が変わる。関わり方が変わるのだ。いいや、主がそのように世渡りのルールブックを変えたのだ。それを見知った他人が、人が変わったようだと勘違いしているに過ぎないのである。
人は代われないし変れない。けれどもルールブックは書き換えられる。だからこそ、一生を同じ世渡りのルールブックで生きる必要は無い。生きやすいように書き換えて良いのだ。必要に応じて書き換えれば良いのだ。その世渡りのルールブックは、不変では無いのだから。優れた世渡りのルールブックは、常にブラッシュアップされている。頑なに守ったところで、息苦しいだけだったりする。生き苦しいだけだ。だからこそ見直しは重要だと思う。幼少期の頃と今との違いは何か?きっと経験と知恵だろう。深い経験と知恵があれば、世渡りのルールブックは優れたものに書き換えられるに違いない。と、私は考えている。少なくともこの解には自信がある。
それが故に、私は今になって書き始めた。誰が何を言おうとも、ルールブックを書き換えて私は前に進む。主という本能が、紛れもなく唯一無二の私が、それを望んでいるのだ。重なり合う人格たちと話し合い、あまりにも朧気な過去を振り返りながら、未来を見据えて書き換える。100年の人生があるのであれば、私の世渡りのルールブックはあまりにも学が無く教養も無く、そして貧弱で、中身が無い。薄っぺらい。そんなものをずっと大事に抱えている方が、お笑い種ではないだろうか。もっと人生は、より良いものにできる筈だ。積極的に書き換えるべきだ。いくつになっても書き換えられるのだから。